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お菓子の疑問 その2

お菓子とお砂糖の関係

 

日本におけるお菓子の起源は、果物や木の実から始まり、それらを日持ちするように加工するようになった物と言われています。その為、果物は水菓子と呼ばれておりました。

 

遣唐使により中国大陸の「唐果物」が伝わり、油で揚げるなどの製法が、奈良時代には砂糖や蜂蜜が、平安時代初期には煎餅の技法が伝わります。

 

その後鎌倉時代に喫茶文化が、室町時代には宣教師によりカステラや金平糖といった南蛮菓子が続きました。

 

江戸時代には、大量の砂糖が貿易船により持ち込まれ高値で取引されます。その後、それまで大半が舶来品であった砂糖を、国内で製造しようと各地でサトウキビの栽培や砂糖の製造が始まりました。

特に高松藩では和三盆の開発に成功し、日本にしかない製造方法の高級砂糖として、現在でも製造が続いています。

 

和菓子にお砂糖が多く使われるようになったのも、国産の砂糖が出回り始めた江戸時代後半といわれております。それまでは甘味というと水飴や甘葛といったものでした。

 

元々は舶来品で薬のような扱いをされていた事もあり、日本人にとって砂糖を使う事が高級で贅沢な事というような価値観が生まれ、そのことから、お菓子=甘い物といったイメージが出来上がっていったのでしょう。

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現在も昔ながらの製法で製造されている和三盆糖は、最高級の砂糖として和菓子や料理に使用されています。

上記の写真は和三盆糖のみで製作されたお干菓子です。

※甘葛=アマヅラ 甘味料の一つ。砂糖が貴重な時代に重宝され、枕草子にも出てきます。一般的にはブドウ科のツル性植物のことを指している、と言われますが、一方でアマチャヅルのことを指す、という説もあり、定かではありません。

 

《写真説明》上記の写真は平成29年の高台寺献茶式の傘亭での茶席で金谷正廣さんのお干菓子を使用した時のものです。

干菓子器の右上は菖蒲で左下は撫子です。菖蒲の干菓子の中には餡が入っていて肉厚です。

 

近年、砂糖による健康被害などにより、摂取を控えられる方もいらっしゃいます。

 

栄養学でも「白い米、白い砂糖、化学調味料」の3白を控えるたほうがよいとされてから、白いもの=体に悪い物という印象を持たれる方もいらっしゃいます。

 

中には、白いお砂糖は科学的に白くされていて、体に悪いというデマまで出回りました。

 

一般的な白いお砂糖は実は、白い色ではありません。水に入れると透明に溶ける事からもわかるように本来は透明な物なのです。

細かくした砂糖が白く見えるのは、透明な氷をかき氷にすると白く見えるのと同じ、光の反射の原理です。

 

そして、茶色いきび砂糖や白いお砂糖は、精製の度合いで変わります。(製法は異なりますが、透明のお酒と濁り酒の違いのようなもの)

 

精製されていない方が雑味が加わりますが、黒砂糖など使い方によってはそれがとても良い味を出してくれます。

また、三温糖、ブラウンシュガーと呼ばれる物などは焦げで風味をつけた物で、より自然なものというわけではありません。

 

江戸時代前半以前より作り続けておられるお菓子では、その時代を反映して砂糖をあまり使わない物もあり、江戸後期のものは甘い物が多く残っています。

 

また、近代に入ると人工甘味料などを使われる場合も増えてまいりました。お菓子屋の中にも、昔の味を守るところ、時代に合わせて調整する所、人工甘味料に切り替えるなど、様々に対応されておられます。

 

お菓子を一口お召し上がりになり「甘い、甘くない」というのはどなたでも感じる事かと思いますが、現代日本人の味覚にくらべて、「なぜこのお菓子はこの甘さなのか」をお考えいただくと、歴史やそのお菓子の背景が見えてくる場合もございます。

 

そして、どんな栄養価の高い食べ物でも、食べ過ぎるとよくないのと同じように、お砂糖やお菓子も、茶事やお祝いの席で楽しんで召し上がる、そのようなバランスでお楽しみいただけましたら幸いでございます。

 

協力 金谷 亘(京菓子司 金谷正廣)    2020年5月1日(3)