《 知っているとお茶席の愉しみがワンランクアップするコーナーです 》

カステラと南蛮菓子

カステラの源流は16世紀、ポルトガルより伝わった南蛮菓子とされています。  「南蛮」とは、中国から見たポルトガルやスペインの俗称であり、貿易によってキリスト教を始め火縄銃にタバ コ、カボチャやサツマイモから石鹸やメガネなどがもたらされました。「南蛮渡来の」と言う言葉のある通り、それ らは異国の貴重な品々として扱われ、意外なほどに人々の生活に浸透していったそうです。  そんな中、南蛮菓子といわれた「金平糖」や「ビスケット」なども日本に伝わります。 キリスト教宣教師が布教の為に配布したともいわれており、1569年の京都にて、ルイス・フロイトは織田信長に 金平糖などを献上したそうです。  時は茶道文化華やかりし頃であり、茶菓子としてもてはやされ、南蛮文化とも言われ全国に普及しました。

 

   カステラの語源は諸説ございますが、イベリヤ半島に存在したカスティーリャ王国をポルトガル語発音で「カ ステラ」と言い、それを元に名付けられたのではないかと言われています。  しかし、当時は現在のような形ではございませんでした。乾パンのような焼き菓子を原型とする説や、ポルト ガルの焼き菓子パン・デ・ロー(卵と小麦粉と砂糖を木べらで泡立てて作るふっくらとしたケーキ)が元になった との説もあります。  どちらにしても、長い船旅でも痛まない金平糖などと違い、製法やレシピが伝わり日本で独自の進化を遂げ ていったものだと思われます。  一般に日本のカステラは水飴や蜂蜜などを用いてふっくら・しっとりとした食感を実現しておりますが、これは、 明治以降に始められたとされています。

 

日本での小麦粉を使ったお菓子は、利休が茶会に多様したといわれております「ふのやき」がございます。こ ちらは小麦粉と水を混ぜたもの(または、麦を水につけたもの)をクレープ状に薄く焼き伸ばし、芥子の実や味 噌などを棒状に巻き包んだものです。  また、すこしカステラに近いお菓子では、亀屋陸奥の松風がございます。元々は合戦の兵糧としても使われ、 1570年前後に考案されたそうです。小麦粉と砂糖、麦芽糖と白味噌で自然発酵させた生地で製作されてお ります。(ただし、カステラは発酵させるのではなく「泡立てる」ことでふんわりと仕上げます。)

  カステラは和菓子なの?という疑問をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。 古来より日本に伝わるもの、という定義には当てはまらないかもしれませんが、長い歴史の中で、羊羹や饅頭も 中国から伝わったものが日本独自の進化を遂げて現在にいたります。中華そばと呼ばれていたラーメンも、今 や日本独自のものとして世界中で楽しまれています。  カステラは江戸時代の鎖国~明治以降の製菓技術の発展により進化を遂げてまいりました。明治以降、本 格的に洋菓子というものが日本に浸透いたしました。和菓子という単語が生まれたのは対義語として「洋菓子」 が入ってきた事によります。そのため、明治以前に日本にあったお菓子全般=和菓子と呼ばれるようになった、 そんな歴史的背景からも、和菓子ととらえてよろしいのではないでしょうか。

 

 

 

 

    <><><><>写真説明<><><><>

 

麩の焼き(ふのやき)は千利休の茶会記などにも

頻繁に登場するお菓子です。

薄く伸ばした小麦の生地を焼き、味噌などを巻き

仕上げます。

とても素朴な味で、山椒味噌などを入れても、

お砂糖などを入れて甘くしても美味 しくいただけ

ます

 

                        このお菓子についての内容は金谷亘さん(京菓子司 金谷正廣)にご協力を頂きました。

                                                                                                             2020年7月5日(7)