《 知っているとお茶席の愉しみがワンランクアップするコーナーです 》

羊羹の起源と現在


 中国では羊羹は読んで字のごとく、「羊の羹」羊のお肉を煮込んだスープでした。 それが、お肉のゼラチン質を冷やし固めた煮こごりのような料理になり、鎌倉~室町時代に日本に伝わった と言われています。  しかし禅宗では肉食が禁じられていたため、精進料理として小豆も用いたものが作られ、それが日本での 羊羹の原型となりました。  初期は小豆に小麦粉や葛粉を混ぜて蒸す、今で言う蒸し羊羹のようなものでしたが、1589年には鶴屋(後 の駿河屋)が、テングサ(寒天の原料)、粗糖、小豆あんで作る「練羊羹」を秀吉公に献上したとの記録がござ います。  また駿河屋では1658年には市販されていたそうです。  江戸時代には練羊羹が全盛期を迎えます。高級な材料であったお砂糖を沢山使う事、糖度を上げるため に水分を飛ばす=材料も沢山使う事から、高級なお菓子として扱われました。逆に初期の製法に近い「蒸し 羊羹」は下物として扱われ、「丁稚さんでも買える値段」という意味で一部は丁稚羊羹と呼ばれたそうです。( 丁稚羊羹の語源には諸説あり、練羊羹を作ったあとの鍋に少し水を足して、鍋に着いた材料を溶かし水羊羹 のようにして食べた事が発祥とも言われております)
 練羊羹に欠かせない材料は、小豆と砂糖そして、寒天です。 寒天の起源も諸説ありますが、江戸時代前期に旅館「美濃屋」の主人が、道路に捨てられたトコロテン(天草 などの海藻から作られる)が後日、棒状に乾燥しているのを見て、試しに煮て冷ましてみたところ再度凝固し、 従来のトコロテンより臭みのないことを発見しました。  これを、黄檗山萬福寺の隠元禅師に試食してもらったところ、精進料理の材料として活用出来ると奨励され 、「寒天」と命名されたと言われております。  38度以下に冷ますと固まるのですが、再度溶けるには85度の高温が必要ですので、口の中で溶けるような ことはありません。  当初は水で戻しそのまま食べることが多かったそうですが、菓子の材料として重宝されるようになり、江戸時代の羊羹の発展に大きく貢献いたしました。

 煮詰めてつくる練羊羹は水分量も少なく、日持ちもすることから重宝されました。今でこそ「練羊羹」というと、 銀色の袋に充填されたものを思い浮かべる方も多いかと思いますが、「ほんまもん」の羊羹は、炊き上げた後、型 に流し固め、切り分けたものです。糖度が高いため、乾燥した状態で保存すると表面が結晶化し、シャリっとした 食感になる事もあります。
 羊羹は保存性、水分量、持ち運びの便利さ、製造の安易さ(もちろん美味しい羊羹を作るのは難しいのですが 、)どの視点からも優れています。また、棹物でしかできないデザインも作ることができますし、切り分けて食べると いうイベント性も楽しい 点だと思います。

 

 

 

 

<><><>写真説明<><><>

 

江戸時代の文献にもいろいろな形の羊羹が掲載されております。 現代でも、寒天が少しだけは言った餡子や、餡子の入らない透明の寒天 なども使用し様々なデザインが生まれております。 写真は波間に臨む山々を模した山水をイメージした羊羹。

 

 

協力 金谷 亘(京菓子司 金谷正廣)    

            2020年7月19日(8)