《 知っているとお茶席の愉しみがワンランクアップするコーナーです 》

お菓子の疑問 その3

京菓子の形が分かり難い理由

 

江戸は江戸菓子、京都は京菓子と双方独自の発展をいたしましたが、京都では御所などに献上されること、茶道の家元がおられること、お寺が多くありましたことから、特に優美なお菓子が製造されてまいりました。

 天保10年には「古今新製菓子大全」が刊行され、そこには現在みられるような和菓子のほとんどが掲載されています。

 そして、お砂糖が一般庶民にも手に入りやすくなる江戸後期にかけて、一気に和菓子文化が花開きました。

 そんな中、京都では本阿弥光悦や尾形光琳など琳派の影響を受けたと意匠が多く誕生ました。琳派は省略と余白の美学とも言われおりますが、モチーフを大胆に省略、誇張し、余白を残すような作風が特徴です。

 その影響からか写実的であるよりも、省略され想像力を掻き立てるようなものが好まれ、今日の京菓子にも継承されています。

  次に、お茶席の茶菓子は「五感で味わうもの」であり、見た目の形、食感や味、香り、耳で聞く菓銘、等からお菓子を味わいます。同じ材料で形を変えても目をつぶれば同じ味でありますから、例えば菓銘を聞かずどんな意味なのか判断する、といった事はせず、五感を使って感じる事が重要とされています。

 菓名は、羊羹、もなか、といった名称とは別に、短歌や俳句、花鳥風月や歴史や地域といったものをモチーフにつけられる事が多くございます。

花鳥風月を元にしているものはまだ分かりやすいのですが、その他では知識がないと分からないという事もございます。

  このような2つの要因からか、一見したところでは判断がつかないというような、菓子の形が生まれました。

そのため、京都の菓子屋で当たり前のように販売されている「昔からある菓子」の中には、何の意匠であるのか、モチーフの分かり難いお菓子があるのです。

 

 

 

 

<>写真の説明<>

 

同じ菊をテーマにしたお菓子でも多種多様です。

 

 

 

左は木型で筋をを入れてるくる「へら菊」等と呼ばれているタイプ。

 

右は尾形光琳の描いた通称「光琳菊」を模して省略化された菊です。

 

 

現代では、具体的で時には説明的なお菓子が、全国的に主流となってきております。和菓子、特に練り切りは、和菓子教室や練切りアートと呼ばれる分野で世界的にも評判になっております。その中では文化的、歴史的な側面よりも、見た目が美しく国籍や年齢を問わず意味が分かるような意匠が好まれております。

  どこかで出されたお菓子の写真がすぐにインターネットなどで広まる現代において、色や形は伝わりやすく、逆に味や美意識というものはなかなか伝わりません。また、「写真映えするお菓子」と、「茶室に映えるお菓子」というのは、違ってくる場合が多くございます。

  どちらの方が素晴らしいという事はないのですが、時にはもう一歩踏み込んで、京都独特の美意識を感じる、伝えていくという事も重要だと考えております。

 

 

 

協力 金谷 亘(京菓子司 金谷正廣)  2020年5月15日(4)