「すはま」菓子の起源と現在
「すはま」菓子の起源は古く、鎌倉時代から存在したそうです。江戸時代には「豆飴」と呼ばれ一般に普及しておりました。
洲浜文様とは、蓬莱山の洲浜の形にならい、海中に洲の突き出た浜辺の様子を上から見下ろす形で図式化されたものです。
平安時代より衣装や調度にも使われ、家紋や神社の紋としても知られています。江戸時代には婚礼の飾り物として使われ、洲浜はお めでたい 意匠となりました。
同じ頃、京都の和菓子店[植村義次]は、豆飴を竿状に成型し、切り出すと断面が洲浜文様になるよう考案されました。
それが一般に広まり、豆飴全般が「すはま」と呼ばれるようになったのです。
お砂糖が一般に普及しましたのは、江戸時代。
水飴は日本書紀にも記述があり、平安時代には京都に飴屋ができ、鎌倉時代には飴売りの行商があったそうです。
「すはま」以前の豆飴は水飴の甘さのみで製作されたお菓子だった事が窺えます。
今日の一般的な「すはま」の製法は、浅く煎った大豆や青豆の粉と砂糖を混ぜあわせ、水飴で練り上げ成型いたします。
そして、浅煎の豆の粉の事を「すはま粉」と呼び、通常の焦げ目をつけた大豆で作るきな粉と区別しています。
同様にこの粉を使った菓子全般を「すはま菓子」と呼ぶ事もございます。
現在、広く知られているものは、洲浜文様のもの、そら豆の形を模したもの、お団子状のもの等がございます。
また、比較的お日持ちのするお菓子ですので、季節のお干菓子の素材としても使われ、木型で成型されたもの、他の素材と組み合わせたもの等、多様な姿を目にする事ができます。
<><>参考の説明<><>
そら豆を模した形状。
練り上げた生地を球体にし、
両指先で押しつぶしたあと、
角形の木型で切り込みを入れて
仕上げます。
協力 金谷 亘(京菓子司 金谷正廣) 2020年6月5日(4)